県道24号線
北谷町区間

★県道24号線

起点:北谷町吉原
終点:沖縄市山里

総延長:4,300m
実延長:4,300m

愛称
沖縄市区間:球陽ストリート

復帰前の状況
琉球政府道24号線

県道24号線のページは、次の2ページに分かれています。
1)北谷町区間(当ページ)
2)沖縄市区間:球陽ストリート


北谷町内区間


国道58号謝苅(じゃあがる)交差点より、県道24号線は分岐します。


交差点名、バス停、自治会名称に、謝苅の名前が出てきますが、これは旧地名で、現在謝苅という地区はありません。


暫くの間、道路の右側は住宅、左側はキャンプ・レスターのフェンスが続きます。


「部隊前」バス停です。現在このバス停最寄のゲートは閉じられていますが、その昔、基地内で働く大勢の軍作業員の皆さんが、このバス停に列を作っていたのかもしれません。


フェンスから覗くと、広い空き地の向こうに、古風なカマボコ型のコンセットが並んでいます。「CORPSMAN'S COVE」と書かれています。'40年代の雰囲気の楽しめる米軍クラブらしいです。後ろのビルは海軍病院の建物です。


坂道が始まります。


基地のフェンスが無くなると、両側に建物が並び始めます。


急なカーブが連続して続きながら、坂を登って行きます。歩道の余地は殆どありません。


元は商店だったのかなと思われる建物。看板が塗りつぶされている様です。


レトロなお店です。「冷凍食品店」だそうです。


建物の間の、つづら折れの狭い坂道を、大きなバスがやってきました。この県道24号線は、沖縄市と国道58号との間を結ぶ道だけに、交通量も多いです。


路地を覗いて見ます。斜面に建物が密集しています。
北谷の町は、戦前平地にあったのですが、戦後平地が米軍用地になった為、山の斜面に建物を建てていったのだそうです。


沿道には店舗や住宅がぎっしり並んでいます。


沿道で、ぽっかり空いた空間は、大抵崖です。殆どの土地は、斜面地に至るまで有効利用されています。


瓦屋根、トタン屋根、コンクリート住宅、集合住宅。密集しています。


坂道もカーブもまだまだ続きます。


ずっと上り坂です。


謝苅公園です。斜面地にある為に、段々畑ならぬ、段々公園になっています。


一番上の駐車場からは、やはり高台だけに眺望が開けています。ここは夜景スポットとしても有名です。


引き続き坂を登ります。


独立行政法人 雇用・能力開発機構ポリテクセンター沖縄です。


公園を越えるとカーブは少なくなってきますが、やはり坂は続きます。


謝苅一区公民館です。謝苅地区は、一区、二区とに分かれている様です。


バス停も、一区、二区どちらもあります。


古くからある様な商店です。屋根は屋上になっているのでしょうか。


沿道から県道を見守り続けている木です。


自動車が普及するまで、北谷の人々は、この坂道を徒歩で登り下していたのでしょうね。


ブロック塀壁に直接書かれた、というか、ステンシルなんで、吹き付けられたというかの、英日二ヶ国語表記の注意書き。バックの黄色が微妙に退色していて、まるで幻灯機で映し出されている様です。


出た!コーヒーシャープ!このお店は元喫茶店だったのですね。


沿道には、いかにも沖縄的なコンクリート建築が並びます。


額に「平和之塔」と書かれた鳥居です。


鳥居の奥にある平和之塔。

「戦争の犠牲になった北谷町出身の全ての方々の名を平和之塔に刻み、全戦没者の御霊を慰める。
現在の平和は戦争による多くの人々の犠牲の上で成り立っている。
私たちはその歴史的事実を再認識し、それを歴史的教訓として、戦争が再びおこることがないよう人類普遍の願いである恒久平和を希求する。
1995年10月22日 北谷町」

それはともかく、ここには鳥居も灯篭もあるのですが、神殿はありません。戦前、神社の無かった沖縄に、鳥居は、皇国化強化の象徴として、忠魂碑や御嶽などに建てられていったと聞きます。ここの場合、おそらく聖域の門という意味で建てられたものとは思いますが、何となく割り切れない気がしないでもありません。


もう少し坂を登ります。上りきると沖縄市に入ります。



県道24号線沖縄市区間:球陽ストリート


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