県道54号線

★県道54号線

起点:糸満市糸満
終点:八重瀬町仲座

総延長:2,921m
実延長:2,921m

この路線は、糸満市糸満(照屋)から糸満市国吉を経て、八重瀬町仲座へ向かう区間と、糸満市国吉から糸満市真壁へ分岐するルートがあります。糸満市糸満から国吉経由仲座のルートは、県道250号糸満具志頭線と重複しています。


復帰前の状況
琉球政府道54号線


このページは、次の路線毎に別れています
1)糸満市照屋−糸満市糸満旧道分岐点(県道54号線・県道250号線重複路線)
2)糸満市糸満旧道区間(県道54号線・県道250号線重複路線)
3)糸満市糸満−糸満市国吉(県道54号線・250号線重複路線)
4)糸満市国吉−糸満市真壁(県道54号線単独路線)
5)糸満市国吉−糸満市仲座(県道250号線・県道54号線重複路線)


糸満市国吉−糸満市真壁


糸満市国吉で県道250号糸満具志頭線との重複区間から分岐し、糸満市真壁方面に向かいます。


県道標識が倒されていました。
倒した方は現状復帰しましょう。


しばらくサトウキビ畑や原野など、緑の中を走ります。


緑と白と青のコントラスト。気持ちのよい風景が続きます。


しかしここは、第二次世界大戦中の激戦地です。鎮魂の為のモニュメントが建てられています。


平和そのものの風景の中を、県道54号線は走ります。


沖縄県農業研究センターです。こちらは、首里崎山にあった農業試験場と、うるま市兼箇段にあった園芸支場を統合して発足した、県の農業研究の中心的な施設です。平成18年度にこちらで業務が開始されたそうです。


程なくして真壁の町に入ります。


沿道にある、糸満市立三和中学校です。
この地域、現在は糸満市真壁ですが、その前は三和村でした。しかし戦前は、真壁村という一つの村だったそうです。
第二次世界大戦において、この地域は沖縄戦の激戦区であり、当時戦闘に巻き込まれた真壁村では、人口の半分近くが戦死し、村が維持できなくなって、同じく戦争により人口が激減した近隣の摩文仁村、喜屋武村と共に一つの村になったそうです。


現在は平和を絵に書いた様な糸満市真壁の町ですが、地獄の様な歴史を背負っているんですね。


真壁の町を抜け、県道7号線に合流して、県道54号線真壁ルートは終わります。


1)糸満市照屋−糸満市糸満旧道分岐点(県道54号線・県道250号線重複路線)
2)糸満市糸満旧道区間(県道54号線・県道250号線重複路線)
3)糸満市糸満−糸満市国吉(県道54号線・250号線重複路線)
4)糸満市国吉−糸満市真壁(県道54号線単独路線)
5)糸満市国吉−糸満市仲座(県道250号線・県道54号線重複路線)







home