国道329号
後原交差点−赤崎交差点

石川市街地ルート



後原(くしばる)交差点を右折すると、うるま市に入ります。合併前は具志川市の区域でした。


ここから、北部国道管理事務所の管轄になります。ちなみにここまでは南部国道事務所の管轄でした。


栄野比交差点で、県道8号線が分岐します。


栄野比を過ぎ、暫く何も無い所を走り、坂を登ると、今度はうるま市石川の町が見えてきます。


2005年の合併により、うるま市となりましたが、それまでは石川市という独立した自治体でした。水道タンクに、「みほそのまち いしかわ」と当時の市章が描かれています。
ちなみに「みほそ」とは臍の意味で、石川市が沖縄本島の臍の部分にあたる所から来ているとの事です。
左に描かれているおじさんは、沖縄のチャップリンと呼ばれた小那覇舞天(おなはぶーてん)さん。歯科医でもあり漫談師でもあった舞天さんは、終戦直後の石川の収容所で、戦争に打ちひしがれた民衆に、笑いと希望を届けてたそうです。

★沖縄のチャップリン「小那覇舞天」
http://www.ishikawa-shoko.jp/buten.html


美原交差点で、県道75号線が分岐します。コザ十字路に至ります。


東恩納交差点で、県道6号線が恩納村方面に分岐します。


東恩納から暫く坂を下ります。


平地になり、石川の中心部を走り抜けます。
復帰前までは、近くにある米軍基地や、中北部を行きかう米軍の軍人さん相手の店が多く、沿道には英語の看板が並んでいたそうです。

現在沿道では、再開発や建物の建替えなどが進んでいますが、まだ、復帰前の建物と思われる物件も見られます。

このペイント看板、建物自体は改修されているので、残されている看板の様ですけど、ペプシの看板の上から、ファンタの看板が書かれた様ですが、経年で薄くなり、現在どちらも見えています。なお、下に描かれているペプシ看板の意匠は、1950年代から60年代前半にかけて使われていたものの様です。
建物を改修されたにも関わらず、この様に貴重な当時の看板を残してくれた家主様に感謝いたしたいと思います。

旧石川市は、戦後沖縄の発祥の地と言われていました。
復帰前までは、現在沖縄市に編入されてる旧美里村の一地区であった石川に、戦中、難民収容所が作られます。石川市はその収容所が発展して町になったそうで、戦後初の新聞や銀行や学校などは、石川で生まれています。
また、復帰前の琉球政府の前身である「沖縄諮詢会」も石川で発足しており、当時の建物も残っています。
なお、終戦後の石川市につきましては、うるま市立石川歴史民俗資料館に資料が展示されておりますので、興味を引かれた方々は、足をお運びになるのも良いかと思います。

国道329号石川市街のルートは、この赤碕交差点で、石川バイパスと合流し、右に向かいます。直進すると県道73号線で、沖縄自動車道石川インターを経て、恩納村に向かいます。

この赤崎交差点にある歩道橋、凝ったつくりで、ロータリーの様に円形になっています。





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