糸満の門小
門小と書いて「ジョーグヮー」と読みます。糸満市の白銀堂と糸満ロータリーの間の国道331号と糸満漁港とに挟まれた町の中を通る、9本の路地の事です。 その昔、ここには9本の入江があり、それを埋め立てた名残だとも言われます。 海沿いの一帯に海人(うみんちゅ:漁師)が住み始めたのですが、その際路地ごと血縁者が集まり「門:ジョー」と呼ばれる共同体が作られ、漁や生活など、互いに協力しあっていたという事です。 路地(門)の名称は、白銀堂を表す「イービンメー」と、元々道の入口に市場が立った「町門」以外は、そこに住んでいた一族の屋号から来ているそうです。 この一帯、住所は「糸満市字糸満」ですが、元々は、イービンメーから町門の間が「西村」または「西村渠:シンダカリ」、町門から鍛冶屋門の間が「中村」または「仲村渠:メンダカリ」と分かれていた事もあり、現在でも地域の区割りは「西区」「町端区」に分かれています。 西村は、この漁師町では最初に出来た村で、現在でも腹中(ハラジュー)と呼ばれる血縁一族のムートゥヤー(宗家、本家)が多いと言われます。また、中村は、西村の次にできた地域です。 糸満ハーレーでは「西村」「中村」に「新島」をあわせた三村で競い合います。新島は、西村、中村の国道331号を挟んだ向かい側になります。集落は、西村、中村、新島の順で形成された為、ハーレーの際の御願の順序などは、古い村の順となっています。また、地元には、 西村や むとぅぎ(親)、中村や なしぐゎ(子)、華ぬ新島や んまが(孫)でびる という歌詞が残っているそうです。西村の分家や子孫が、中村や新島の集落を作っていたのかもしれませんね。 ★ウルトラたマン通信第36号(糸満に残る門小文化)FMたまん http://www.fm-taman.com/TamanTimes/2004/vol36/36-T.html |
イービンメー |
富盛門(トゥムインジョー) |
長嶺門(ナガンニンジョー) |
根前小門(タンメーグヮーンジョー) |
高良小門(タカラグヮーンジョー) |
町門(マーチンジョー) |
兼久小門(カニクグヮーンジョー) |
西新地門(ニシミージンジョー) |
鍛冶屋門(カンジャージョー) |